2012年12月22日土曜日

炊き出し懇親会@女川町 指ヶ浜地区仮設住宅

 
12月18日、今月も炊き出し懇親会を行うため、女川町の指ヶ浜地区仮設住宅にお邪魔させていただきました。
今回も、弊社サプライヤーの方々をはじめ、住環境想造研究会や住まいネット、グリーンライフグループの各社の方にご協力いただけるとのことで、炊き出し懇親会+在宅の方への食材デリバリーというかたちで開催させていただきました。

ちなみに「在宅の方」とは、仮設住宅に住んでいない被災者の方で、集落の中でも標高が高い場所に家があったからなどの理由で津波の被害をまぬがれることができた=通常、仮設住宅などの人が多く集まっている場所で開催される炊き出しなどの支援が行き届きにくい方々のことです。
私たちも、地元のボランティア団体「リアルアイ」さんのご協力により、支援が行き届きにくい小規模な仮設住宅を中心に、毎回炊き出し懇親会を行わせていただいておりますが、スタッフが多い分、デリバリーというかたちではありますが、在宅の方ともふれあえるようになりました。

ということで今回は、
1.炊き出し懇親会:指ヶ浜地区仮設住宅
2.食材デリバリー:御前地区(約15名分)、新田地区(約30名分)、清水2区(約50名分)
3.コンテナ村のイルミネーション設置
というボランティア内容となりました。

 
炊き出し懇親会は、いつも用意している焼きそば、フランクフルト、たこ焼、BBQ、お寿司、飲み物、カラオケを揃えて準備OK。住民の方、スタッフともども楽しい時間を過ごすことができたと思います。

来月は1月29日(火)、場所は未定ですが、また炊き出し懇親会で女川町にお邪魔してきます。

2012年12月3日月曜日

炊き出し懇親会@女川町 桐ケ崎地区仮設住宅

 
11月28日、今回は女川町の桐ヶ崎地区にある仮設住宅にお邪魔して、毎月恒例の炊き出し懇親会を行わせていただきました。

いつも通り5:30に埼玉を出発し、一路女川へ。
食材などは出来る限り被災地で購入=被災地でお金を使う、という私たちのコンセプトのもと、お肉は石巻のやまださん、魚介類は岡清さん、野菜や調味料は浅野八百屋さんにお願いしました。

今回初めて購入させていただいた浅野八百屋さん。津波でお店やご自宅を流されながらも、女川でいちはやく食料販売を再開された方で、残された車を使って移動販売をされているとのことです。
移動販売は震災前からおこなっていたようですが、特に震災後、車が無い方や高齢の方にはありがたい存在だったはず。その心、見習わせていただきます。

 
さて、桐ヶ崎の仮設住宅に到着後、早速準備開始。
テントを建て、ブルーシートで防寒囲いをし、鉄板やBBQコンロ、たこ焼き機、やきとり機、寿司マシーン、ビールサーバー、カラオケなどをセットします。十数回も炊き出しをやっていると、スタッフみんながやるべきことを分かって動いているので早くて美しい準備風景でした。

今回の炊き出し懇親会には、住環境想造研究会や住まいネット、グリーンライフグループより、多くの人手をご協力いただけるとのことで、他の地区にお住まいの在宅の方(仮設住宅に住んでいない被災者の方)への食材デリバリーも行うことになりました。

 
ということで、機材の準備が終わって早々にデリバリー用の食材を準備。堀切地区と石浜地区の在宅、計50名分の料理を仕上げ、早速デリバリーへ。十数戸ある各地区で一軒一軒訪問させていただき、焼きソバや寿司などの食材をお届けしました。
デリバリー班は、食材を届けるだけではなく、買い物が不便な在宅の方からの御用聞きもやらせていただきました。

一方、桐ヶ崎の仮設住宅では炊き出し懇親会を開始。住民の方とスタッフはもとより、住民の方同士のコミュニケーションを楽しめる「懇親会」ができたかな、と思います。カラオケも盛り上がりました。

来月は18日、以前もお伺いしたことのある指ヶ浜(さしがはま)の仮設住宅で炊き出し懇親会を行わせていただく予定です。

 

2012年10月18日木曜日

炊き出し懇親会@女川町 旧女川第三小学校 仮設住宅

 
10月16日、毎月恒例の炊き出し懇親会を開催させていただくため、いつも通り5:30に埼玉を出発し、宮城県の女川町にある旧女川第三小学校の仮設住宅にお邪魔させていただきました。
「旧」とあるのは合併により廃校になったため。子どもが減り、第一、第三小学校がなくなり第二小学校だけになったとのこと。胸が苦しいです。

さて、女川のほうは、ぼちぼち寒くなってきたとのことで、今回からメインメニューとなる寿司を再開!
(寿司は暑い時期は食あたりの危険があるのでできません)
仮設住宅にお住まいの方に、お寿司はいつも喜んでいただけるので、用意できてうれしいです。
出来る限り被災地で購入=被災地でお金を使う、という私たちのコンセプトのもと、寿司ネタはいつも通り地元の魚屋である岡清さん、野菜などはコンテナ村さん、お肉は石巻市のやまださんにお願いし調達していただきました。

 
今回ご用意したのは、お寿司、焼きソバ、フランクフルト、タコヤキ、肉と魚介のBBQ、鮭汁、ジュース、お酒、生ビール、カラオケ。
自分で言うのもなんですが、品揃えはそこらのテキ屋さんには負けません。小さなお祭りくらいなら対応できるほどです(^^)
寿司マシーンやテント、鉄板、ガス器具、炊飯器などに毎回ご協力くださる協力業者さんに感謝です。彼らを含む、全ての関係者の協力がないと、ここまで大掛かりな炊き出し懇親会はできません。感謝です。

15:30、兵庫県の漢方専門医である松本有記先生から仮設にお住まいの方へ、といただいた天麻茶(あまちゃ)を手に、スタッフが各住居に炊き出し懇親会開始のご挨拶。
総勢60名ほどの方と食事やお話し、カラオケで楽しませていただき、なんと牡蠣や秋刀魚を逆にご馳走していただきました。震災後、初物の牡蠣とのことで、いろんな感情が混ざり、とっても美味しくいただきました。ごちそうさまでした。ありがとうございます。

来月は11/27(火)、またどこかにお邪魔させていただきます。

2012年9月24日月曜日

炊き出し懇親会@女川町 高白浜仮設住宅

9月18日、女川町の高白浜にある仮設住宅にお邪魔して炊き出し懇親会を開催させていただきました。
当日は、晴れてはいたものの日本海側にある台風の影響で風が強いとの情報が。
懇親会は屋外にテントを張って開催するので、風と雨にはモロ影響を受けるのです。
どうなることかと思いながら朝5:30に埼玉を出発し、いつも通り菅生SAで朝食をとって会場入り。
心配していた風ですが、高白浜の仮設住宅に到着するとほとんど風はなく一安心。
海は近いが山に囲まれているような場所なので、上空の雲の早さがウソのような穏やかさでした。




到着後は、いつもお世話になっている地元のボランティア団体「リアルアイ」の高橋さんにもお手伝いいただき、テントを張って、テーブル作って、野菜を切って、かまどを組み立てなどなど・・・
1年ちょっとの間、毎月やっていると我々スタッフの手際も早くなり14:00くらいには準備終了。

今回ご用意したのは、焼きソバ、フランクフルト、タコヤキ、カレーライス、肉と魚介のBBQ、カキ氷、ジュース、お酒、生ビール、カラオケ。
食材は出来る限り被災地で購入=被災地でお金を使う、という私たちのコンセプトのもとに、今回も女川町のコンテナ村さんや岡清さん、石巻市のやまだ肉店さんなどで食材を購入させていただきました。

15:30になったら仮設の区長さんにお声掛けし、住民の皆さんに懇親会開始の合図をだしていただきいよいよスタートです。
50名ほどの方が住まわれている、そんなに大きくない仮設住宅なので少しずつ住民の方々も出てきていただき、終始和やかな雰囲気での懇親会となりました。

来月は16日(場所は未定)に開催させていただく予定です。

2012年9月2日日曜日

お手紙

昨年4月から続けさせていただいている復興支援。被災地を見るたび、地元の方々と話すたび、支援をしている私たちが逆に勇気と気力をもらうことが多々あります。
復興支援を続けるなかで、被災地の方よりお手紙をいただくこともあり、それを読むたびに継続支援の必要性も感じています。

そんな中、昨年末に被災地支援のサイトを通じて加湿器を10台寄付させていただいた、石巻市立大谷地小学校の校長先生よりいただいたお手紙をご紹介します。

たった9ヶ月前にいただいたお手紙です。
 



平塚宏一(東北復興を支える会代表)様

師走に入り、石巻では夜になると氷点下の日が増え、雪はあまり降らないのですが寒さが一段と厳しくなってきました。先日はわざわざ本校までりっぱな加湿器をお届けいただき、心より感謝申し上げます。実は、あの日以降本校では、急にインフルエンザの流行が始まり、勢いは止まらず順々に学年閉鎖に追い込まれているのですが、いただいた加湿器はフル回転で使わせていただいております。本当にありがとうございました。
私のことになりますが、3.11の時には、宮城県の七ヶ浜町立松ヶ浜小学校の校長をしておりました。学校は海のすぐ近くでしたが高台にあったため、津波の被害はありませんでしたが、校舎自体は、あちこちに大きなひびが入った状態でした。津波で浜辺にあった家々が跡形もなくなり、学校の体育館は避難所となり、雪が降る寒さとライフラインが全くなくなった状態で、1000人以上の地域の人たちが学校に避難してきました。入り切れず、校庭も車を入れて寝泊まりする人で満杯になりました。そのような中、私も避難してきた方々と一緒に寝泊まりし、不安を抱えたまま励ましに全力を尽くしました。避難してきた方の気持ちを少しは元気づけることができたと思っています。あのような状態になると、今日がいつなのか、3.11から何日が経ったのかが全く分からなくなり、カレンダーがとても大きな役目を果たしたことが思い出されます。また、トイレの問題が大変でした。千人以上人が水が止まった少ない数の学校のトイレを使うのですから、ー回ごとにバケツの水で流さなければなりません。そのため、プールからひっきりなしに水汲みをしなければなりませんでした。避難者皆の協力がなければできませんでした。ー週間ぐらいして、北陸電力の電源車が金沢から来て、体育館と校舎に電気がつき、校内放送が使えるようになったときほどうれしかったことはありませんでした。配給の食料を配るのに、始めは大変苦労しました。毎日、何が来るか、どれくらいの数が来るか決まっておらず、来てから対応を考える状態が続きました。が、徐々に配り方を工夫し、時間がかかっても文句を言わず、指示に従って待ってくれた方々の協力に感謝する毎日でした。食料の配布は、朝と夜だけ。後はお菓子を食べたり分け合ったりと、体育館に避難していると、不思議にも皆同じ状態のせいなのか、どちらかというと連帯感と安心感がありました。
4月1日に、現在の石巻市立大谷地小学校に異動になりました。本校は、津波の被害は全くない内陸の農村地帯ですが、地震のため体育館が壊れ、使えなくなりました。また、地盤低下がひどい状態です。
最近は、福島原発の話題は毎日マスコミで取り上げられていますが、震災の被災地の方は、徐々に報道も減り、世間でも意識が薄くなってきているように感じています。しかし、現状はほとんど変わっていないというのが、現地に住んでいる私たちの実感です。特に被災が大きかった石巻市では、約4000人の方が亡くなり、市の100年分のがれきが出て、がれきの片づけがまだ30前後ということで、復旧が進んでいません。また、そのがれきを受け入れてくれる県や市があまりにもすくないことを耳にすると、同じ日本人なのに、どうして・・・と、悲しくなります。石巻のすぐそばには、女川原発がありその、女川の町も壊滅しました。津波というものは町を根こそぎ失くしてしまうだけでなく再びそこに戻れなくしてしまい、きれいさっぱり破壊してしまいます。石巻市内の学校も、被災した学校があまりにも多く元に戻れず、他校の校庭に仮設校舎を建てて、朝夕、たくさんの通学バスを走らせています。
被災された方は仮設住宅に入りましたが仕事もなく、土地もなく、財産もなく、希望が持てない状態がいつまで続くことでしようか。また、冬に入り、仮設住宅では断熱材を入れる工事が急いで行われていますが、12月いっぱいかかるそうです。
誰も経験したことのない大震災を、私たちは経験しました。その時は無我夢中で、その日その日をどう生きるかしかありませんでした。多くの人が一瞬にして亡くなり、家が流され、思い出の品も何もかも無くなりました。これが津波の恐ろしさです。学校も例年より2週間遅い421日から何とか始めました。そのため、休みも短くなり、3学期のスタトは15日です。子供たちは、ずっと不安な中で過ごして、新年度の始業式に顔を合わせました。それでも、子供たちは友達と顔を合わせることにより日が経つにつれ明るさを取り戻し、一緒に遊んだり勉強したりする喜びのなか、元気に学校生活を過ごしています。この間、多の方々から様々な支援や励ましをたくさんいただきました。全国の皆様が、被災地のことを心から心配してくださることを実感する日々でした。
大谷地小学校の近くには、多くの児童が亡くなったことで有名になった大川小学校が近くの小学校に間借りしています。しかも、津波のため住むところがなく、みんなバラバラになってしまい、海辺の町が元のように復旧できるかどうかもいまだ不明です。また、本校の近くに、大川地区の方々の仮設住宅ができ、9月より住み始めました。子供たちは大川の方々との息の長い交流をしようと、動き始めました。18日の新聞に載りましたので、一緒に送らせていただきます。
私自身、今回の震災を通して、多くの方の励ましとつながりが希望となり、学校運営のエネルギーになっています。この経験を生かし、本当に困っているときに、行動できる自分でありたいと思いました。(ただ、残念なことに気力はあっても、体力がないのです)
また、現地に足を運ぶだけでも、大きな意味があることを教えられました。また、震災後の時間の経過によって、必要な支援が変わってくること、長期の支援の大切さ声をかけ続けられることの心強さなどを学ばせていただきました。私たちが元気になり復興することが、皆様への御礼になると思っています。私たちの住む石巻は大きな被害を受けました。復興までは10年ぐらいはかかるでしょう。しかし、皆さんの励ましをエネルギーに変え希望を持ってきっと立ち直ります。
結びに、平塚様の活躍とご健勝、トラストホームの益々のご発展を祈念し、御礼とさせていただきます。

平成23年1220 石巻市立大谷地小学校長 杉山昭夫



2012年8月28日火曜日

女川常夜灯プロジェクト「迎え火」に参加しました

 
8/13のお盆中、女川町の町立病院前にて行われた、焚き火をたいて御先祖様が迷わず来れるようにお迎えする「迎え火」と「送り火」に参加させていただきました。

お盆真っ只中ということで渋滞を考慮し前日深夜に埼玉を出発→グリーンライフ宮城(仙台市)の事務所にて仮眠→迎え火参加→深夜埼玉着、という弾丸行程でした。

迎え火当日、私たちのお役目は、参加者の方々への屋台形式での食事のご提供&花火大会での警備が担当。
屋台はいつもの炊き出し懇親会で用意している焼きそば、フランクフルト、たこ焼、カキ氷、綿菓子、飲み物を揃えて準備OK。
今回は他の屋台の方とのかねあいで、「無料ではなく有料で販売して欲しい」と地元のボランティア団体「リアルアイ」さん依頼されていたので、小銭を準備して迎え火をスタートしました。

思い起こせば1年前に炊き出しを始めた頃にくらべ、今は本物のテキ屋さんになれるのではないか?と思うくらいの品揃えとスタッフの手際の良さがあります。さらに今回は有料販売だったので、まさにテキ屋さん。ちなみに、売上は地元のボランティア団体「リアルアイ」さんに全額お渡ししてきました。

昨年の7月から月1回のペースで行わせていただいている炊き出し懇親会。来月もまた女川方面の仮設住宅にお邪魔する予定です。

支援履歴

私たちグリーンライフグループと住環境想造研究会のメンバーが、東日本大震災以降行ってきた宮城県での支援の概要です。

■2011年

4/20・・・医療ボランティア(ドライバー)@石巻市渡波

4/27・・・医療ボランティア(ドライバー)@気仙沼市本吉町

4/28・・・軽トラック、自転車(約10台)寄贈@気仙沼市本吉町

5/17・・・医療ボランティア(ドライバー)@気仙沼市本吉町

5/18・・・レトルト食品寄付@石巻市渡波

5/24・・・炊き出し会@石巻市 大須小学校避難所

5/28・・・個人住宅改修ボランティア@石巻市栄田

6/10・・・個人住宅改修ボランティア@石巻市栄田

6/14・・・個人住宅改修ボランティア及び自転車(約10台)寄贈@石巻市栄田

6/15・・・生活用品等寄付@女川町

6/21・・・個人住宅改修ボランティア@石巻市栄田




6/24・・・軽自動車(4台)寄贈(澤田升男さんご協力)@石巻市、南相馬市

6/28・・・害虫(ハエ)駆除及び生活用品等寄付@石巻市栄田、女川町

6/30・・・軽自動車(1台)寄贈(澤田升男さんご協力)@石巻市

7/6・・・生活用品等寄付@女川町

7/23・・・炊き出し会及び網戸張り@石巻市 広渕小学校 避難所

7/23・・・被災住宅検査及び網戸張り@女川町

8/11・・・炊き出し会@女川町 第一小学校 仮設住宅

9/27・・・炊き出し会及び自転車(約10台)寄贈@女川町内田地区 仮設住宅

10/16・・・生活用品等寄付@女川町

10/18・・・炊き出し会@女川町清水地区 仮設住宅

11/15・・・炊き出し会@女川町清水地区 仮設住宅

12月・・・イルミネーション設置@女川町 コンテナ村


■2012年

1/18・・・炊き出し会@女川町指ヶ浜 仮設住宅

2/15・・・炊き出し会@女川町針浜 仮設住宅

3/15・・・炊き出し懇親会@石巻バイパス用地(東側) 仮設住宅

4/17・・・炊き出し会@女川町旭が丘 仮設住宅

5/13・・・豊漁祈願祭り参加&食事提供@女川町出島

6/12・・・炊き出し懇親会@石巻バイパス用地(西側) 仮設住宅

6/12・・・女川町に職員用宿舎(ログハウス)を寄贈

7/25・・・炊き出し懇親会@女川町新田地区 仮設住宅

2012年8月27日月曜日

復興支援ブログ開設しました

3.11東日本大震災の発生以来、微力ではありますが私たちが続けている復興支援活動レポートです。

車や自転車の提供、被災地でのイベント開催のお手伝い、毎月行わせていただきいている炊き出し懇親会の開催など・・・

私たちにできること、お手伝いできることを、できる限り継続していこうと思います。

写真・・・炊き出し懇親会@石巻バイパス用地仮設住宅(2012年3月26日)